概要
新型コロナウイルスの影響で、音楽療法の教育機関においても対面授業に代わってオンライン授業の実施が求められています。しかし音楽療法の核心は対人援助の技術にあるので、目の前に人がいない状況で音楽療法を学ぶのは一見、難しそうに思えます。
筆者は以前、社会人受講生を対象に即興技術のオンライン授業を試みた経緯があり、その時の受講生はごく小人数でしたが、双方の工夫により授業は可能で、かつ有効でした。その時は丸々15 週分に相当する実技内容をオンラインで行い、最後の修了試験のみ対面で行いました。
文部科学省によると、オンライン授業を単位と認めてもよいという見解が出されています。
https://www.mext.go.jp/content/20200401-mxt_kouhou01-000004520_6_1.pdf
オンライン授業の導入にあたってまず考慮する点は、学生側の通信環境です。今回、筆者が指導する学生たちに通信環境を訊ねてみた結果、パソコンやプリンターを所有する学生は少数で、最も多かったのはWi-Fi とスマホでした。文科省が推奨するようにテキストを PDF ファイルで送ったり、画面を共有してみんなでパワーポイントを見たりなどの、パソコンとプリンター使用を前提とするオンライン授業は今回考えておりません(もちろん教員はパソコンとプリンターを常備するべきです)。
今回に先立ち、すでに筆者は入学前課題として新入生に「コードの基本」のオンライン授業を行いました。今回の即興授業の対象は新入生ではなく、ある程度音楽の知識のある在学生を想定しています。新入生に向けては「コードの基本」から試していただければと思います。
スピードを重視してまずは4週間分の授業におけるガイドを作成、さらに必要に応じて1学期分の授業ガイドに発展させたいと考えています。
目的
音楽療法を学ぶ学生が自宅待機中にオンラインを通じて「即興、伴奏、作曲の技術向上」に取り組めるように、その機会を教員から提供することを目的とした本ガイドを作成し、指導のノウハウを伝える。
必要な環境
学生側:①Wi-Fi 環境
②スマートフォン、あるいはカメラつき PC
③ピアノあるいはキーボード(ミニキーボードや鍵盤ハーモニカも可。スマホの鍵盤アプリでもよいがスマホのアプリを使用すると教員側に演奏音が聞こえないため、もう 1 台スマホが必要になります)
④CD プレイヤーあるいは CD 音源再生機能が内蔵された PC(ない場合は、教員が CD の該当トラック音源をあらかじめ送ってあげる必要があります)
教員側:①インターネット環境
②カメラつき PC(モニター画面はある程度の大きさが望ましい。複数の学生を同時に複数画面で見るため)
③鍵盤楽器(ミニキーボードでもよい)
前もってテキスト『音楽療法で使う即興・伴奏・作曲』を郵送などで渡しておく。
通信アプリケーションは、Skype、Line グループ通話、Zoom などがあります。学生に負担のないアプリケーションを選び(筆者は Line を使用)、授業開始時刻を決めて集合、スタンバイします。
オンライン授業の課題点
① ぴったりタイミングが同期する合奏は困難
以前からの課題ですが、オンライン通信中、同時に発音した際に聞こえるズレ(遅延)は通信環境や回線の混雑などが原因であるため、あらかじめ「同時発音は無理、できなくて当然」と認識し、合奏しなくてもできる課題を行います。即興において大切な即時反応と相手に合わせることで生まれる信頼感情などを損なう危険のあるこのタイムラグは、致命的な問題と言えますが、対面で行う授業が将来(半年後の後期になって)再開できた際にそこで補完すると考えて、今は限られた環境で進められることに集中します。
② 動画をあきらめ音声だけになることも
学生の演奏する様子を見ながら授業を進めるのが理想ですが、学生の通信環境によっては、ビデオをオフにして音だけで行うほうが、ごくわずかであれ音の中断を避けることができて、スムーズに進めやすいこともあります。臨機応変に対応してください。
授業の進め方
第一講 初回授業 授業時間の目安:学生 10 名で 50 分〜60 分程度
1)はじめに
「音楽療法の即興は普通の即興とは違い、対象者のために行うものである」という前振りが「はじめに」(p.6〜7)に記してあります。大切な前提なので、読んで説明してください。
普通の即興とは異なる「音楽療法に特有な即興例」として、次のビデオを視聴してもらうのもよいでしょう。「きらきら星」など私たちに馴染みのある曲も使われています。
Simra - Exploring the World Through Music (*英語ですがわかりやすいです)
https://www.youtube.com/watch?v=ow_nGPi3d9k
2)「対象者に合わせるための練習(1)」を行います。
課題1−1は、譜面を見ないで対象者を見ながら即時的に音を出す演習ですが、オンラインではどうしてもタイムラグが生じるので省きます。
課題1−2(p.9)対象者に合わせるための練習「かえるの合唱」を行います。
付録 CD のトラック1は、クリック音でテンポを BPM90〜120〜50 へと変化させています。
「いち、にい、さん、はい」の声の後に、p.9「かえるの合唱」を繰り返しありで(合計16小節)、クリック音に合わせて演奏します。1番は普通のテンポ(BPM90)、2番は速め(BPM120)から、途中でとてもゆっくり(BPM50)に変化します。クリック音に自分のテンポを合わせて伴奏する練習です。テンポに集中できるように伴奏は簡単にしています。
3)「対象者に合わせて歌うための練習」(p.10)
GO/STOP の合図を出し、対象者のベルに合わせながら歌う課題です。学生の自宅にベルはありませんのでキーボードで代用し、該当する1音を鳴らします。教員とモニター画面越しに行いますが、音は交互に鳴らすので多少のタイムラグがあってもできます。
① セラピスト役の教員は、最初に鳴らす G 音を担当、対象者役の学生は、D 音を担当。
② 教員は、「はーるが」を G 音を鳴らしながら歌う。
③ 「きーたー」にさしかかる直前、教員は学生に「どうぞ」の合図(手の平を差し出す)を出す。学生は D 音を鳴らす。教員はそれに合わせて「きーたー」を歌い続ける。
④ 次の「はーるが」の直前で「止めて」の合図(手の平を相手に向ける)を出して学生が鳴らすのを止めながら、教員は 2 度目のG 音を鳴らしながら「はーるが」を歌う。
⑤ 上記のように交互にG 音 →D 音→G 音 →D 音→を繰り返し、それに合わせて教員が歌う。歌の終止音は学生と教員が D 音と G 音を同時に鳴らして終結する。
以上の①〜⑤をやってみせて、次は学生と役割を交代します。この課題は特に練習が不要 で、自分の動きと相手の動きを観察しながら歌を合わせる課題です。「春が来た」ができた ら、同様にできる既成曲を学生に考えてもらい、もう一度セラピスト役を学生にやってもらいます。既成曲を思いつかない様子ならば、以下の曲名などを例示してもよいでしょう。
・かえるの合唱
・チューリップ
・赤とんぼ
・ふるさと など。
上記の使用例において、G 音はⅠ度和音の根音、 D 音はⅤ度和音の根音に相当します。この 2 音は、シンプルな童謡唱歌ならほとんどの曲に当てはめて使えることを伝えてください。
ここでメロディーの音が取りにくい学生が出てくることが考えられます。音程をきっちり取って歌えているかどうかをチェックし、鍵盤楽器でメロディーをガイドとして流すなどの配慮してください。
4)さぐり弾き課題①「森のくまさん」
まずは正しいメロディーを弾けるように、その次に和音をつけるように指導してください。
わからないという学生には、ドミソ、ドファラ、シレソの主要三和音で弾けるから当てはめてみるように、とヒントを与えてよいです。
原曲はニ長調なので、ニ長調でさぐり弾きできた学生には「耳がいいね」とほめてあげてください。
即興に苦手意識を持たないようにすることは、この授業全体を通じたテーマのひとつです。少しでも良いところがあれば積極的に声をかけてほめてください。
時間が足りない場合はこの課題は宿題にしてもよいでしょう。
学生たちの音楽的スキルが高く、すぐに今回の課題を終えられるようならば、応用編(短調)を用いる「対象者に合わせるための練習(2)」(p.12〜13)を追加してもよいでしょう。
第二講 2回目
1)ペンタトニック(p.14)
1回目の授業では対象者のテンポに合わせる練習を行いました。2回目はペンタトニック について学び、即興で演奏し続ける時間を学生自身がコントロールできるようにすることが目的です。
p.14 を読み、ペンタトニックを音楽療法で用いるメリットを説明します。
2)課題3−1「自由に即興演奏をする練習」を行います。
ペンタトニックは同時に音を鳴らしても音が濁らないので、グループでの授業でも使うことが可能です。
p.14 の左手のパターンを練習してもらい、p.15 を弾いてもらいます。まずは弾いてもらうだけでいいです。p.15 のメロディーを多少弾き違えてもペンタトニックの構成音内ならば問題ありません。むしろ自由に弾いてほしいので、楽譜通りに弾き続けない方が好ましいと励ましてください。F♯ペンタトニックなので、F♯音から始まり、F♯音で終わるフレージングを心がけるように伝えてください。
3)課題3−2「ペンタトニックの即興演奏を1分間続ける」
教員が 1 分間計っている間、演奏を続けてもらう課題です。筆者は以下のように声かけしています。
30 秒経過・・・・「あと 30 秒」
45 秒経過・・・・「あと 15 秒」
55 秒経過・・・・「そろそろ終わりましょう」
一定時間の長さで演奏を続けられることと、終わりたいタイミングで終えられるようにすることが目的です。注意点は p.15 に書いてあるように途中で止まったり弾き直したりしないことです。ミスタッチしたり、音の進行に行き詰まったりしても「わからないようにごまかす」「間違ってもわからないように立て直す」ことは大切なテクニックです。いきなり即興と言われてもできない学生も多いです。その場合は、課題3−1の例を繰り返しながら少しずつ変化させるように助言してください。
4)課題3−3「ペンタトニックを使った作曲」
教員がお手本として簡単なメロディーで歌ってあげるとよいでしょう。
5)課題3−4 さぐり弾き課題③「大きな栗の木の下で」
今回はあまり難しくない課題となっています。和音が見つけられない学生にはドミソ、ドファラ、シレソの主要三和音で伴奏できると伝えてください。
宿題として、p.21 の「主要三和音の伴奏付け(長調)」(p.21〜22)を出します。
自分で音を探し書き込むように指導してください。今後伴奏をすることを考えて、左手で展開形を演奏できるように指導してください。
宿題には課題5−2 和音記号で書かれた譜面を複数の調で演奏する「うみ」があります。メロディーの最初の音が Ⅰ度の和音の第3音である(譜例ではドミソの和音の第3音、ミから始まる)ことに注意を促します。他の調で演奏するときも同様です。
第三講 3回目
1)主要三和音の伴奏づけ(短調)説明、その後前回宿題(長調)のチェック
前回宿題で出した「主要三和音の伴奏付け」(p.21〜22)をチェックしてください。
一人ずつチェックしている間、他の学生には p.23〜24 の、短調の主要三和音の伴奏づけを練習してもらいます。短調の主要3和音のⅤ度の和音が長和音であることが大切なポイントです。教員が実際に和音を演奏して示してください。
2)課題6−2「和音記号で書かれた譜面を複数の調で演奏する」
課題5−2と同様、メロディーの開始音が和音の第何音に位置するかを意識させてください。この曲の場合はI 度の和音の第5音です。
第四講 4回目
基本拍は即興演奏において重要な要素であり、今回の課題は対象者に基本拍を続けてもらうための演奏だと説明します。(p.32)
課題9−1 基本拍を促す伴奏にアレンジ「さんぽ」
課題9−2 基本拍を促す伴奏にアレンジ「幸せなら手をたたこう」
上記の課題は「弾いてみること」が目標となります。ペダルを踏まずに、切れよく演奏するように指導してください。付録 CD のトラック 10 はスネアドラムがBPM120 で鳴っていま す。これに合わせて演奏してもらいます。
2)課題9−3 基本拍を促す伴奏に既成曲をアレンジ
課題9−1、9−2のように伴奏してもらいます。CD のスネアドラムの音源に合わせて短い曲でよいと伝えてください。発表の際、最後の音の前に、終わりだとわかるような合図
(例:リタルダンドをする、声かけをする、視線で合図を送る、身振りや指揮で伝えるなど)を入れ得ると臨床現場での応用につながりますが、オンラインでは難しいでしょう。対象者への効果的な合図については対面授業の際に改めて演習すると伝えてください。
3)課題9−3 さぐり弾き課題⑥「子ぎつね」
時間内に簡単にできてしまう場合は、違う調でも演奏できるように指示してください。イ長調(♯3つ)、変ロ長調(♭2つ)などは適度な難度で、かつ便利(イ長調はギターで伴奏するときに最適な調、変ロ長調はハ長調のメロディー音域が高くて歌いにくいとき下げるとちょうどよい)なのでおすすめです。
おわりに
とりあえず4回分の授業案を示しました。
これから筆者も実際に授業を行ってみて、検討すべきところは改訂を重ねていく予定です。学生たちはこの状況でも学びたいと思い、教員やクラスメイトとつながることを望んでいま す。対面授業と比べると歯がゆい点もありますが、音楽療法における重要な専門性がこの臨床即興であると筆者は考えています。家にいる時間は多いはずです、学生と一緒に試行錯誤してみましょう。
(2020 年4月 20 日)